比木神楽について

比木神楽は、木城町鎮座の比木神社に伝承されている神楽で、県の無形文化財(高鍋神楽)に指定されています。創始については何時の時代であったかを示す文献等が寛文9年(1669)の火災により焼失しており不詳となっています。
古くは奈良時代に宮中での御前演奏を行ったとも伝えられ、江戸時代には高鍋の地を所領した高鍋藩(秋月氏)が神楽を奨励して全盛を極めたと伝えられています。高鍋藩の記録「高鍋本藩実録」には、寛永20年(1643)11月18日に藩主が姫君の病を平癒した事への御礼として、比木神社に終夜神楽を奉納したと記載されています。

□ 比木神社について

比木神社は、大己貴命・三穂津姫命・素盞鳴命・櫛稲田姫命・事代主命・福智王の6柱の神々をお祀りする神社で、創始については不詳となっていますが、第13代成務天皇の御宇、武内宿祢を以て国県を分かち邑里を定めむる時、比木方百町、郡司方百町の宗廟五社大明神を崇め奉る者也、と「御社比木神社縁記」に記され、児湯地域の極めて古い社であると推定されています。
また、特殊な神として福智王が合祀されています。天平勝宝8年(756)に百済国内で大乱が起き、父禎嘉王の一行と共に日本に亡命し、安芸厳島に逃れました。しかし2年後に福智王一行は高鍋町蚊口浦古港に、父禎嘉王一行は日向市金ケ浜に上陸し、没後に父禎嘉王は美郷町(旧南郷村)に、福智王は当神社に合祀されました。この親子の神が再会するお祭り「神門御神幸祭(師走祭り)」は現在でも執り行われています。

[ 比木神社の主要な祭礼 ]
◎元旦祭
1月1日初詣 御札・御守焼納
◎夏祭
7月30日昼 子供神輿、神楽奉納
◎お里廻り
10月28日29日 高鍋木城を御神輿巡幸
◎大年下り
11月4日 大年神社御神幸祭
◎裸詣り
11月14日夜 裸詣り、神楽奉納 
◎七五三詣
11月15日
◎神事
12月5日 夜神楽奉納
◎神門御神幸祭(師走祭り)
旧12月18日頃の金・土・日曜日
◎お鈴の口開け祭
旧1月5日 神楽の舞初め

□ 比木神楽の流れを汲む神楽(比木神楽系)

昭和44年に県の無形文化財(高鍋神楽)として指定を受けた神楽を分類すると、比木神楽、都農神楽、三納代神楽の3つに分類されています。その中で比木神楽の流れを汲むのが、木城町を始め、高鍋町、川南町、美郷町に伝承されている神楽で、比木神楽系とされています。

□ 神事(かみごと)について

江戸時代の初め頃の事です。
秋月氏が高鍋に入封されて間もなくの事でした。
秋月家のお姫様が原因不明の病を患い、床に臥せる日が続いたのです。
そのご様子を心配されたお殿様は、「お姫様の病を早く治すように」と沢山の医師にご命令を下されたのです。しかし、お姫様の病状は一向に回復の兆しが見えず、お殿様は更に深くご心配されたのです。そして、遂にはお殿様や家老職で会議が開かれ、「藩内にお姫様の病を治す者が居いたら名乗り出るように」との布告を発したのです。この状況を聞きつけた高鍋町上江字鴫野の住人の大寺余惣衛門と言う人物が名乗り出て、連日、木城村の比木神社に心を籠めて願掛けのお参りをしたのです。すると不思議なことに、お姫様の病状は快方に向かわれ遂には全快されたのです。この事を大層喜んだお殿様は、直ちに木城村の比木神社にお礼の参拝をされ、神恩感謝の誠を捧げられて終夜神楽を奉納されたのです。これが先述の秋月氏が比木神社に神楽を奉納する事となった経緯なのです。そして、この神楽祭りは「神事」と称して、現在でも比木神社で執り行われているのです。

「高鍋神楽公式ホームページ」より

□ 神門御神幸祭(師走祭り)について

毎年、旧12月18日頃の金土日曜日に執り行われる「神門御神幸祭(師走祭り)」は、1,000年以上続くお祭りと言われ、百済より亡命した父の禎嘉王(神門神社)と息子の福智王(比木神社)が1年に1度再会を果たすお祭りとなっています。
この御神幸祭は広域にまたがり特殊な神事が多いことで知られています。また、各神事の中で奉納される神楽も他では行わない動作があるなど、神事・神楽共に貴重なお祭りとなっています。

◎1日目を「上りまし」と言い、金ケ浜での禊を始め、様々な神事が執り行われ、夕刻に神門神社に到着後、祭典や神楽が奉納されます。

◎2日目は「お衣替え、ドンタロ祭、神楽奉納」が行われます。ドンタロは追っ手との戦いで百済の王族を助けた土地の豪族の事で、この「ドンタロ祭」はお礼参りのお祭りとなっています。このお祭りで奉納される将軍舞の時だけ、矢が放たれます。また、その後に執り行われる「山宮さま」と言う神事では、笹竹で舞手の邪魔をする神楽が行われるなど特殊神楽が奉納されます。そして、この日の夕刻も初日と同様に、神楽が奉納されます。

◎3日目は「下りまし」と言い、神門神社の境内で別れの食事を摂り、別れの悲しみを笑って隠す為のへグロを各々顔に塗りあって、御還幸となります。

□ 比木神楽年表

◎奈良時代頃
御前演奏を行い過分の褒美を賜ると伝えられる

◎江戸時代初期 
寛永20年(1643)11月18日
高鍋藩が比木神社で終夜神楽を奏する(神事の始まり)

◎宝永2年(1705)4月
高鍋藩が雨乞祈祷に霊験があったとして白銀2枚米1俵
神楽奉納につき銭一貫文を与える

◎宝永7年(1710)8月3日
上使御通りに付、火難口舌無き様、高月寺 阿いせん法比木にて御神楽云々

◎安政6年8月4日から6日
二夜三日の間雨乞祈祷として神楽33番奉納

◎享保8年(1723)9月
比木神明祭で神楽奉納

その他、江戸時代には高鍋藩が雨乞、日乞の御祈祷で幾度となく各神社に神楽を奉納させる

◎明治4年(1871)頃
六社連合大神事の始まり

◎大正6年(1917)1月27日
木城、高鍋、上江、川南の4ケ町村の有志者が高鍋神楽保存会を設立

◎同年3月
神楽講習会が開催される(参加者は28名であった)
浦幸次郎、日向高鍋神楽縁起書作成

◎同年3月28日
京都桃山御陵、伊勢神宮に神楽を奉納する

◎昭和30年4月
高鍋神楽保存会を木城町を含め4町で結成。

◎昭和41年10月23日
九州地区民俗芸能大会に出演

◎同年11月19日
第4回宮崎県民俗芸能大会に出演

◎昭和44年4月1日
県の無形文化財として指定を受ける

◎昭和53年1月31日
記録保存を講ずべき神楽として国の指定を受ける

◎昭和54年4月
県指定高鍋神楽縁起書作成
国の選定の為の記録画作成開始

◎平成5年~同27年の間
韓国の百済文化祭大田万博に5回出演(比木神楽系)

◎平成29年2月18日
宮崎県総合博物館敷地内の民家園「椎葉民家」にて六社連合大神事を再現

◎平成29年7月2日
伊勢神宮神楽奉納100周年記念事業
伶人13名関係者5名が伊勢神宮に於いて神楽奉納

◎平成30年11月24日
第67回全国民俗芸能大会出演
開催場所 日本青年館ホール
芸能公演にて3番、研究公演にて5番を披露

◎令和元年9月7日8日
東九州神楽人の祭展出演
開催場所 九州国立博物館
8日公演に6番を披露

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